退屈だからブログ作ってみた

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「他人の不幸は蜜の味」の謎

こんばんは。

 

めちゃくちゃ唐突で

割とどうでもいい話なんですが、

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他人の不幸に喜びを感じる

「他人の不幸は蜜の味」

という慣用句に関して

バカなりにこの頃考えているので、

それについて少し書いてみたいと思います。

 

というのも、そもそも自分自身が

劣等感とコンプレックスの塊のような人間なので

何も考えずに過ごしていると無意識のうちに

「他人の成功と幸せからは

 なんとかして目を背けようとしつつ、

 他人の失敗と不幸を探し出すことで

 自分に対する安堵感みたいなものを得ようとする」

という、まさにゴミの極みのような

考え方をしてしまうため、

自分自身のこの腐った思考回路に嫌気が差して

「他人の不幸は蜜の味」についてを考えるようになった

という恥ずかしい背景があるんですが

まあ、それは一旦置いといて…

 

自分は心理学とかに関してはサッパリなので

この「他人の不幸は蜜の味」というのが

どういったメカニズムによるものなのか

とかもよくわかっておりません。

 

ただ、自分自身に関して言えば

なぜそういう発想になるのかと言うと

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何かで劣等感を抱いたときに、

 

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その相手の位置にまで上るのは努力が必要

そもそも上手く上れるかもわからないため、

 

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じゃあ自分が上るんじゃなくて

相手が落ちてくればよくね

という思考回路です。

 

幸・不幸に例えて言うと

自分の幸福度より周りの幸福度の方が高く感じる

といったときに、その劣等感を払拭するために

自分が幸せになる努力をするのではなく

周りも不幸だとすることで自分の状況に満足する

という感じになるんですが、

紛うことなきゴミクズですね。

 

仮に、周りの幸福度が自分より低かったとしても

それが自分の幸せに繋がるわけではないということは

ちょっと考えればわかることなんですが、

何故こういった思考回路が自分の中にあるのか我ながら謎です。

 

 

「他人の不幸は蜜の味」がよく使われるケースに

「他人の恋愛における失敗」があるんですが、

知人または知らないどこかのカップルが破局し

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彼女のいない人間がそれを喜ぶ

なんてケースはよくあると思うんですが

 

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そのカップルが破局したところで

別に自分に彼女ができるわけでもなく

状況が変わるわけでもないのに何に対して喜んでるのか、

よく考えたら謎ですね。

 

「フリーになったアイツが合コンをセッティングしてくれる」

「前からあの彼女を狙っていてようやく別れてくれた」

「どうも胡散臭い恋人だったから別れて正解だ」

みたいな、明確に喜ぶ理由がある場合はまた別だと思うんですが

ただ単に「アイツは別れたから不幸だろう」

という理由で喜んでる場合って

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この画像のまんまじゃないですかね。

と思うのです。まあ自分自身に対するツッコミなんですが。

 

凄く好きな恋人がいて満足している人

他人の恋愛失敗談を耳にして

「どうでもいい」と無関心なのはあるとしても

「やった!!」という思考回路にはならないと思うので、

こういう思考回路になる時点で

「その分野において劣等感を抱いている」

みたいなことの証明になるんですかね。

 

 

単純な幸・不幸に置き換えると、

「他人に不幸であってほしい!」

と願ってやまない人は

現状の自分自身になんらかの劣等感を抱いているけど

それを払拭する努力を放棄して、

周りが不幸になることで相対的に自分に満足しようとしている

ということになるのかな、と思うんですが

なにやら海外の大学での研究で

「他人の不幸は蜜の味」、

ネットスラングで言う「メシウマ」

2歳児でも感じることが明らかになったため、

「不平等」「不公平」に対する人間の自然な反応と言える…

みたいな記事がありました。

 

確かに、自分の考えてたことを突き詰めると

「他人の不幸で喜びを感じる奴は

 劣等感にまみれた人間の屑

とかいう結論が出かねないんですが、

そういった心理は大小はあれど誰しもが持っているので

異常な思考回路というわけではない

といった感じなんでしょうかね。

 

 

とはいえ、これはあくまで個人的になんですが

「皆持ってる心理だし、この考え方のままでいいや」

と思っていると

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集団でいて、何かで劣等感を抱いたとき

そうではないということを周りに主張するために

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他の誰かを下げることで自分を正当化しようとする

みたいな言動をしかねないので怖いですね。

 

集団の中で自分の優れた点を自らアピールするのは

難しいと言うかそういう状況がなかなか無いと言うか、

仮に「自分が優れている」ということを集団の中で伝えたい場合

「俺って優れてるよね」と自分を持ち上げるのは

反感を買いそうだし伝えづらいけど、

「○○(他人)って劣ってるよね?」と周りを下げれば

「つまり俺って優れてるよね?」といった意味合いになって

伝えやすくなおかつ優越感みたいなものは同様に得られる

みたいな感じだとは思うんですが、

そうすると他人に不快感を与えつつでしか

会話ができないような人間になってしまうので

メシウマ精神は必要以上に思考回路から排除しようとするくらいが

ちょうどいいのかな、と思います。

 

なんか、そういった自己肯定(自己正当化?)

他人の不幸は蜜の味精神

似てるようでちょっと違うのかもしれないですが、

結局のところ自分に対する満足感を得るために

他人に不快感を与えるといった意味では同じな気もする。

どっちにしても他人を下げることで自己肯定をするクセがついたら

会話の中でも相手にその考え方を無意識に強要してしまいそうだし、

「僕は劣等感があります」と自己紹介しているような考え方

持たないに越したことはないですね。

 

自分自身にこういう腐った思考回路があるので

これの正反対に位置するような

「他人の幸せ・成功を自分のことのように喜べる」

という人が凄くカッコ良く見えて憧れます。

 

前にTwitterでも書いたんですが、

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所英男選手の勝利で大喜びする金原正徳選手のような。

 

他人の幸せな姿とかを見て心の底から喜べるってことは

その人自身に劣等感とかが無く、充実してる証拠ですよね。

 

劣等感があるのにその思考回路を形だけ真似するゴミ

というのもバカみたいな話かもしれないんですが、

他人を下げて満足感を得ようとするゴミ

みたいな害悪になるよりかは幾分マシかと思うので

ゴミはゴミなりに、

他人の幸せで喜べて他人の不幸で悲しめるゴミ

みたいな感じに生きるのが目標です。

 

 

書きながら、自分でも何を言ってるのか

サッパリわからなくなってきたので

終わりたいと思います。

ここまで読んでいただいている方が

いるのかどうかはわかりませんが、

ワケのわからん薄っぺらいことを

ダラダラと申し訳ございませんでした。

 

ありがとうございました!